<桜丘1丁目のクイズその7> 2023年5月1日号  回覧板にはクイズその6と間違えて書いてしまいました陳謝。    

          

(問)桜丘1丁目の中心部にあるプラウドという大きなマンションは、2007年に建ちましたが、それまでその広い土地には何があったでしょう?

(答)ご存知の方も覚えていらっしゃる方も多いと思います。

   NTT 電電公社の社員アパートでした。近くには駄菓子屋もあって、広い草むらは子供の遊び場になって   

   賑わっていました。上の方の階からは南西に富士山がよく見えました。

 

 

<桜丘1丁目のクイズ その6>4月1日号

桜丘1丁目の担当交番は住所により3カ所に分かれています。ご確認ください。

 

中央のプラウドの横の赤い線より右側(東)は桜木駐在所(宮の坂駅近く)、左側(西)は桜丘交番(笹原小近く)、桜丘小学校の南道路の赤い線より下側(南)は松が丘交番です。

落し物を届けたり、詐欺や不審者や事故、事件のお届けや相談の時ご注意ください。

桜丘1丁目クイズ<その5> 2023年2月1日号

(問)桜丘1丁目に唯一の「大木さんの畑」は何処にあるでしょう?

(答)桜丘小学校東側道路の中央を曲がって次の角左側ですね。

   江戸時代以前より続く農地は今や530㎡(約160坪)を残すのみとなり、大木文子さんが

  一人で守っています。

   耕運機や黒のビニール埋め込み機を使ったり、肥料「みどりくん」を撒き、植え付けなど

  一年中計画的に作業が続きます。主に午前中の作業ですが、近くを通る顔見知りの方々や子供

  と声を掛け合ったり喜んでもらうのが何よりの楽しみだそうです。

   取り立て収穫物は「軒先販売」で地域に安価で提供してくれるありがたい存在です。

   4年前に創立した農大附属稲花小学校1〜3年生用に農地の3畝を貸し出し、営農支援専門の

  先生と共に指導にも当たります。反対側の塀沿い空間には麦が育てられ、収穫から製粉、パン

  作りまでの実践教育に利用されています。

  ▷農作業の流れ

   1月中に冬野菜( 大根、白菜、キャベツ、ブロッコリー、里芋、長ネギ、小松菜など)の

  収穫が終わると、すぐに肥料を撒き耕運機で土を柔らかくして1ヶ月ほど休耕して落ち着かせま

  す。畑の4カ所の土を農協の土壌検査に提出し、窒素や必要な栄養分の検査を受けます。OKで

  いよいよ植える場所に丸い穴が開いた黒色ビニールを畝にかぶせて風でめくれないように機械で

  20㌢くらい土に埋め込みます。

   2月末には6月収穫のジャガ用のイモの植え付けをし、順にナス、ピーマン、ししとう、トマト    

  夏野菜となります。野菜たちは前年と同じ場所に植えてはいけないので、ちゃんと記録をつけて

   別の畝に植えます。

   草むしりは一年中手作業なのでとても大変です。

   大木さんは農協の勉強会にも参加して勉強を続けているそうです。

   



桜丘1丁目歴史クイズ <その4> 2023年1月1日号 

(問)1779年安永8年德川十代将軍 德川家治により建立された庚申塔(道標)は何処にありますか

(答)武蔵国荏原郡世田谷村横根と呼ばれた地にある横根の道標。現在の世田谷区桜丘1丁目3番地

   当時は南に伸びていた道路が農大で遮られて通り抜けられない。

   正面西面には、「府中道四里 安永8年9月吉日」  約16キロ

   南面農大側には、「大山道 二子川 乞 一里余」 約4キロ

   東面上町側には、「青山道 二里半余」      約10キロ

   北面経堂側には、「四谷道 二里半余」      約10キロ 

   と彫られている。

   台座は近隣の古老が庚申塔を守り地域の歴史を伝える為しっかりと作り直したと思われる。

   正面台座の文面 「土地の有志により道標として建立された。また、農家の守護として大山

   阿夫利神社山開き中の7月26日〜8月16日は御神燈を奉納し家内安全と農作物の豊作を祈願」

   地名の変遷についても記載されている。

   裏面台座の文面 「大正3年この土地が陸軍自動車学校となり、当時の様子から始まり、農大

   となった変遷。昭和59年1月設立者大貫菊次郎」が書かれています。

   平安時代から江戸時代にかけて全国に広がっていった庚申信仰についても調べていただくとお

   もしろいと思います。

 

 

 

 

桜丘一丁目歴史クイズ <その3> 2022年12月1日号

(問) 桜丘小学校の北側の道路は室町時代以前からの古道ですが、その名称はなんでしょう?

(答) 北は吉祥寺方面、東南は駒沢方面へ続くこの道は、「六郷田無道」の名がついています。

    東へ道なりに進むと、代官屋敷のあるボロ市に直行できるので通称「ボロ市通り」とも呼ばれます。

 

 

桜丘一丁目歴史クイズ <その2> 2022年11月1日号

(問)桜丘小学校の東南に「マルマ」と呼ばれる大きな会社がありますが、社名の由来は?

(答)満洲の満(マ)をまるく囲ったことからですね。

太平洋戦争中の満洲へ航空機産業を移す「マルマ計画」によりたくさんの日本人が満洲へ渡っていたが、終戦後昭和21年9月その帰国者救済のため、旧陸軍機甲整備学校跡地に作られたのが「(有)マルマ車両整備会社」である。

昭和28年(1953)には社名が「マルマ重車両(株)」と改名、昭和34年(1959)黒部ダム工事にバイブルドーザ納入、その頃から海外研修生受け入れや海外に技術者の派遣を始め、現在も世界中の海外プロジェクトへ技術者を多数派遣している。

名古屋、神奈川県厚木、相模原にも工場がある。

平成8年地下1階地上6階建ての本社ビルが竣工し、社名も「マルマテクニカ(株)」に改名され現在に至る。

桜丘一丁目が誇る大会社である。

 

 

 

 

桜丘1丁目の歴史クイズ <その1>

(問) 桜丘1丁目1−1に位置する東京農大が移転してくる前、その場所は何に使われていたでしょうか?

(解答)旧陸軍機甲整備学校でした。その跡地に昭和21年(1946年)東京農業大学が移転してきました。

    東京農大の母体は明治24年(1891年)に麹町に設立され、その後渋谷の常盤松御料地へ移転するも

    戦火で校舎焼失のため 桜丘に移転してきました。130年もの歴史ある由緒ある大学です。